Luz  リュ
 1843年9月8日、オレロン島に渡ったユーゴはひどく沈んだ気分だったらしい。
その日、彼はメモを残している。
「私には、嫌なところだとは言わないまでも、この島は荒涼として不吉に見えた。----
私の心は死んでいた。
失意のうちに全てを観ていたからだろうか。
多分、違った日の違った時間なら、印象も違っていただろう。
しかし、あの晩は何もかもが暗く憂鬱に思えたのだ。
まるで、島そのものが海に浮かぶ巨大な棺のようであったし、 月は棺を照らすたいまつのように見えた。」
不吉な予感があったのだろう。 翌日、ユーゴは逃れるようにこの島を離れ、ロシュフォールへ渡った。
乗合馬車を待つ間、彼はカフェへ入るが、そこで見た新聞に眼は釘付けになる。
自分の愛娘レオポルディーヌが、セーヌ川で事故死したことを、その新聞は告げていた。
カフェを飛び出し、通りをさまようユーゴの姿は、さながら狂人のようであったという。
こうしてこの夏の旅は中断された。
 急ぎ戻ったユーゴによって、事故のあったヴィユキエの地で葬儀が行われた。
レオポルディーヌの夫シャルル・ヴァクリーの遺体もレオポルディーヌと同じ棺に入れられた。
セーヌ川のヴィユキエ付近で、二人を乗せた船が事故に遭ったとき、シャルルはレオポルディーヌを必死に助けようとした。 やがてそれが難しいことであるのがわかる。彼は妻のいない人生を受け入れることが出来ず、生きるよりも妻とともに死ぬことを選んだ、 と伝えられている。
レオポルディーヌは19歳、シャルルと結婚して半年も経っていなかった。
Esquièze-Sèreの丘

 正午をまわったばかりの夏の陽は暑く、わたしたちは少し疲れていた。
リュに隣接したまち、エスキエーズ・セールの丘の上に教会があり、その横に涼しげな影を広げているプラタナスが見えた。
わたしたちは丘を登り、その心地よさそうな木陰まで歩いた。
木の下には鉄のベンチがあり、そよ風が抜けていた。
オンブラ・マイフ、私の心地よい木陰だ。
リュとエスキエーズ・セールのまちが丘の下に広がっていた。
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