東禅寺 「都史跡 最初のイギリス公使館跡」石碑

 その間、文久元年(一八六一)五月には尊皇攘夷派の水戸藩浪士に、翌二年五月に松本藩士により東禅寺襲撃事件が発生し、オールコック が著した「大君の都」には東禅寺の様子や、東禅寺襲撃事件が詳述されています。現在の東禅寺の寺域は往事に比べ縮小し、建物の多くも失われ ていますが、公使館員の宿舎となっていた「潺源亭」(せんげんてい)やその前の庭園などは良好に残っています。庭園と潺源亭を含めた景観は、 公使館時代にベアトが撮影した古写真の風景を今に伝えています。幕末期の米・仏・蘭などの各国公使館に当てられた寺院は大きく改変され、 東禅寺が公使館の姿を伝えるほぼ唯一の寺院で有ることから国史跡に指定されました。 平成二四年三月 建設  東京都教育委員会」
 かたわらには三メートルほどの御影石の石柱が立っていて、「都史跡 最初のイギリス公使宿館跡」と赤字で刻まれていた。 ジャーナリスト田中宇(さかい)は2017年7月23日付の「国際ニュース解説」で、「江戸幕府が英国や米仏露などから開国・開港を迫られ、 阿片戦争後の中国のような分割の危機に陥った時、英国留学中の伊藤(博文)らは、英国側とわたりをつけた後、帰国して明治政府を作った。 日本は英国の傀儡となることで、欧米列強に分割されず、明治維新が成功した」と述べているが、このような往事の事情を勘案した時、この場所の 重みは一段と増すであろう。(中村 聰)

  {参考図書}永畑道子「雙蝶」、中村隆英「明治大正史」、佐高信「福沢諭吉伝説」、星野天知「黙歩七十年」、平岡敏夫「北村透谷研究 評伝」、 島崎藤村「桜の実の熟する時」、吉増剛造「透谷ノート」、「島崎藤村全集別巻」、新保祐司「正統の垂直線」、谷沢永一「文豪たちの大喧嘩」、 牛丸仁「島崎藤村」、笹淵友一「北村透谷研究」


1
2
3
4
5
6
7