岡本柳之助 ウィキペディアより

 金玉均は日本政府の庇護を期待して、日本へ亡命して来たのだが、日本政府は朝鮮との国交に悪影響があることを恐れて、明治19年(1886) 8月彼を小笠原島へ移す。約1年間小笠原で過ごした金玉均は、病気療養を目的に日本本土へ戻ることとなったが、政府は彼を北海道へ移すこととした。 この時、もと陸軍少佐・岡本柳之助は、竹橋事件の際、暴動参加を勧める部下を押さえて夜間行軍を敢行し部下が罪に陥るのを防いだが、自らは 暴動の計画を知りながらそれを上司へ報告しなかった罪を問われて官職を剥奪され一民間人となり、福沢諭吉邸で書生をしていた。病気で長旅にも 耐えぬ金玉均を北海道へ送ろうとする警視庁のやり方に憤慨した岡本柳之助は、司法大臣・山田顕義に直訴して、金を北海道へ送ることの延期を乞い、 そのお蔭で金玉均は東京の病院でゆっくり療養することができた。明治24年、日本政府は金玉均に対する拘束を解除し、以降彼は東京で生活する。 彼の住居にはいろいろな人が出入りしたが、中には朝鮮の事大党より派遣された刺客も混じっていた。池運永という刺客の場合は、彼が携帯していた 国王の命令書・武器・毒薬を取り上げ、それを証拠として彼を警察に突きだし、強制送還させることに成功した。頭山満はそんな金玉均を心配して、 堅いだけじゃダメだと、敵を欺くためにだだら遊びをした大石良雄の例を引き、もっともと思った金玉均は以後、柳暗花明の巷に出入りする。親友の 朴泳孝(彼は前国王の娘婿で、準王族)はそれを憤慨し、金玉均と絶交した。
(以下次号)

(中村聰)
{参考図書}、豊田有恒「本当は怖い韓国の歴史」(祥伝社)、武田幸男(編)「朝鮮史」(山川出版社)、岡本隆司「袁世凱」(岩波新書)、 岡本隆司「李鴻章」(岩波新書)、姜在彦「朝鮮からみた日本の征韓外交」(「歴史公論」第6巻第8号)、武田幸男編「古代を考える 日本と朝鮮」 (吉川弘文館)、朴永圭「朝鮮王朝実録」、「閔妃は誰に殺されたのか」、豊田隆雄「本当は怖ろしい韓国の歴史」(彩図社)、平岡敏夫「北村透谷研究  評伝」(有精堂)、江刺昭子「透谷の妻」(日本エディタースクール出版部)、永畑道子「雙蝶」(藤原書店)、笹淵友一「北村透谷」 (日本図書センター)、「東亜先覚志士記伝」(黒龍会出版部)、呉善花「韓国併合への道 完全版」(文芸春秋)


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