当時9歳の徳富蘆花(健次郎)の家は、種田家と「夜はしわぶきの音も聞こえるほど」の近くで、種田の妾の狂乱の叫びは はっきりと聞きとれた。父は出張中で不在だった。母久子は「お前も男ではないか、来てごらん」と健次郎の手を引いて二階に 上がり、雨戸を開けると、背戸の竹藪ごしに空は真っ赤に燃えていた。火の手は5ヵ所ほどだ。耳を澄ますと、なんとも知れぬ 物音が火焔の下から立ち昇ってくる。母は大胆にも戸外へ出た。やがて「いくさ!いくさ!」と言いつつ戻って来た。城のほう から数発の流れ弾が、彼女の頭上に飛来したそうだ(徳富蘆花「青山白雲」所載「恐ろしき一夜」)。
 宮崎八郎(25歳)はまだ 起きていて、同志四、五人と牛鍋で酒を飲んでいた。火事だという叫びに、障子を開けると、四、五ヵ所に火の手が見えた。 八郎は騒ぐなと皆をたしなめ、障子を閉めさせ、ふところから何か書類を出して火にくべ、お先に失敬すると刀を取って立ち あがった。何事かと尋ねると、神風連がやり出した、おおかた種田がやられたろう、見てくると言った。やがてもどった八郎 は同志の母親に「とても大事にはなりませぬからご安心なさい」と告げ、下宿に帰ると、高いびきで寝てしまった。 (上村希美雄「宮崎兄弟伝」)。
 高島参謀長の家では、雨戸を蹴破って庭へ出た参謀長は、足をすべらせて泉水に落ち、そこを 討たれた。与倉連隊長は、すばやく馬丁の法被をまとい、「へい、馬丁です、お許しを」と小腰をかがめながら襲撃者をすり抜け、 まんまと逃げおおせた。しかし、屋敷内に奉置してあった連隊旗は奪われ、「洋風の旗などけがらわしい」と引きむしられ、空堀 に捨てられてしまう(軍旗は天皇から授けられた神聖なもので、この後、西南の役で、乃木希典少佐は軍旗をうばわれた罪を謝する ため、切腹しようとすらしている)。
 村上六等警部は挙動がおかしい弟を責めつけ、当夜の挙兵を白状させ、安岡権令に急報した。 権令宅で、急遽、対策会議が開かれたが、その席に神風連は斬り込んだ。安岡権令はあばらをえぐられながらも逃れた。神風連は そのうしろ姿へ、「もうよい、少し生かして苦しますがよいぞ」と追ってこなかった。彼は裏の畑に身を隠し、翌朝、病院へかつぎ 込まれたが、三日後に死んでしまった。太田黒惟信県会議長の方は、襲撃の気配を察すると機敏に逃げ出し、無事であった。



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